トップページ  >  組織から探す  >  産業建設部  >  商工観光課  >  連載コラム(16-4) 人智を越えたなにか

連載コラム(16-4) 人智を越えたなにか

(4)人智を越えたなにか

祭り、それはカオス
祭り、それはカオス

こんなお顔はどうでしょう?
こんなお顔はどうでしょう?

特産のリンドウをはじめ、次々に花が
特産のリンドウをはじめ、頭に花が次々と

 男たちが「大人の遠足」ではしゃいでいる間、お母さんたちは朝早くから調理場で仕込みの続きをせっせとしながら、留守を守っていたのだった。

 しばらくして、蜘蛛の子を散らしたように人がいなくなってしまった。なぜだかわからぬまま、朝4時起きで寝不足だった私は、これを機にこっそり車の中で仮眠した。

 午前8時過ぎ、なんとなく、みな再び集まり始めてくると、お母さんたちが作った赤飯おにぎりの朝食を食べた。

 すませると、藁人形作りは、いよいよラストスパート。背骨となる木に、昨日作ったパーツを縄でくくりつけると、どちらが男でどちらが女は一目瞭然だ。あとは頭と胴、マダの木の皮で作った衣装を、全体のバランスを見ながら付け足していけば、完成だ。

 しかし、それからが騒がしいこと騒がしいこと。お察しいただけると思うが、なんかもうみんな、生き生きしているのである。下世話、おっと失礼、ちょっぴり下品な話は、みんな大好物なのである。

 「どう?お兄さんのと、どっちが大きい?比べてみる?」

 「おーい。おっぱい、まだついてないよ。いっそお前さんのと交換しちゃえればすむ話なんだけどな」

 そんな冗談を飛ばしながら、おっぱいを付けたら付けたで「もっと揉まねば、ふくらんでこねんだ」などと、老若男女、がはは、がははと大盛り上がり。

 そのすぐそばでは、「お母さん組」より年長の「ばば組」が、青森から直送された大量のイカの肝を、のんきな話をしながら樽の中で取り除いている。間を縫うように、お母さん方が、てんやわんやと行き交う。

 久しぶりに帰ってきた幼い子どもは、三輪車やかけっこ。シニアカーが、バイクのツーリングみたいにしてやってくる光景も初めて見たし、YMOやPerfumeもびっくりのテクノでポップな操作音がハモるかんじも、さらに時空を歪めた。一言で表現すると、これはカオスだ。

 始まる前までは、祭りの持つ呪術的な意味合いだったり、生と死がいまよりもはるかに隣り合わせだった時代に思いを馳せてみたり、そうした背景を理解して臨もう、そんな心構えでいた。

 だが、ひとたび、2日間ここにいてみて、わかったことがある。祭りというのは、そういうことなのだ。本来のマジメな意味はきっとあって、それはそれで大切なんだろうけど、それ以上に大切なものを求めて、ここに人々が集まっているということを。

 人はそんなに、ある日突然、利口になったりするわけでもなかろう。きっと祭りが始まった200年前だって、たわいのないことに大笑いし、ワケもなくわちゃわちゃしながら、繰り返されてきたんだろうな。

 そんなようなことを終了後、酔っ払った勢いで、保存会長の畠山正徳さん(68)にしたところ、「いやあ、昔はもっとひどかったと思うよ。今以上に初めからべろんべろんに酔っ払っててさあ」と言われ、ああ、そうだろうなと思った。それくらいじゃないと、やっていけない苦しさや厳しさが、やっぱりあったんだろうなと、強く確信したからだ。

 最後は鬼面に、習字紙に筆で描かれた顔がつけられ、魂が宿った。これを「化粧をする」と言うらしい。人間以上に人間的で、なんという、素朴で、素直なタッチなのだろう。

 そのときの気分で毎年描いてきただけという畠山忠光さん(62)は、「でも強いてえば、ひげもじゃの男性は虫を追うから勇壮に、女性は守るから微笑んでるようなイメージかなあ」と話した。

 山や丘陵も多く、夏には冷涼なやませが吹き、冷害や飢饉も深刻だった横間集落。近年は農薬の普及で、被害に見舞われることは減ったが、それで祭りの必要がなくなるかといえば、そういうわけでもないらしい。

 「祭りは、昔ながらの人を思いやる気持ちや、地域の団結を再確認する場。準備を通して、自然とみんなが一つになれる」と畠山さんは力説した。

 普段は離れていて、意識することはない、私たちの日常で最も遠い場所にあったはずのあれこれも、実は普段から、誰もが隣り合わせに持ち合わせていたという当たり前のことを突きつけられる。聖と俗との距離は縮まり、間の濃さが増していく。祭りとは、そんなプロセスの共同作業のようにも思えてきた。(今川友美)

ご意見・ご感想をお寄せください
郵便番号028-7397 岩手県八幡平市野駄第21地割170番地
商工観光課観光振興係
電子メール shokanka@city.hachimantai.lg.jp

【広告】